狸穴通信ブログ 狸穴猫の野次馬的こだわりワールド

SNSと掲示板型ネットコミュニケーション

パソコン通信の時代からはじまったネットコミュニケーションはインターネットの普及でチャット、ブログ、SNSなどに徐々に移行していった。

通信料金が安くなっていくにつれネットでのコミュニケーションの敷居も低くなり、ネット創生期に生じていなかった問題が生じるようになっていった。

「炎上」という現象はパソコン通信の時代からあった。意見の相違が感情の対立を生むなんてのは今も昔も変わらない。

だが変わってきたことがある。

このため掲示板管理は非常に難しくなってきている。

  • 第一がリアルの人間関係が色濃くなってきた。
  • 第二がお気持ち主義の台頭。
  • 第三に誰でも気楽にはじめられてしまうこと。
  • 第四、発言の削除がたやすく、ログがとりにくい。

第一の面はFBの楽しい部分でもあるのだが、ことグループにおいては要注意ポイント。

リアルの人間関係によって参加者への対応が左右されると。ネットのみの参加者が疎外感を持つ事になる。メール(FBではメッセージ)でのやりとりが掲示板上に出てきても同様。疎外感が不信感にまで高まると運営批判として噴出してくる。

第二、ネット初期なら「傷ついた」等の感情的な発言根拠を持ち出せばでは「卑怯」という扱いだったが、ネット参加人口が増えてきたために、そうも行っていられない状況になってしまった。「お気持ちの交流」をあまり是とすると、反対の「気持ち」も主張されてしまうので、「こっちが傷ついた!合戦」になり非常に荒れやすくなる。また、「気持ちの交流派」と「意見交換派」間での軋轢というのもありがちな現象だ。

第三、あまりにも簡単に始められるため、ネットの特徴等を勉強していない管理者が多くなった。

グループ管理者なんてのは誰でもなれるのだが、「主宰者」という名称を肩書き化してしまって自己の肥大化を起こす人も少なくない。また、掲示板は「荒れかねないもの」という認識が薄いので運営批判に非常にめっぽう弱い。

第四、発言の削除がたやすく、ログがとりにくい。これはFBのことだがコメントがついた発言であっても簡単に削除できてしまう。また無限スクロール+アコーディオン表示という仕様のため、ログの保存が容易ではない。これは無責任な発言がしやすくなるということである。

以前からあった掲示板の問題もひろっておこう。

目的意識をもち、がんばって運営しているつもりでいればいるほど「参加者も同じ気持ちでいて欲しい」と思ってしまうという落とし穴にはまる。

参加者はあくまで参加者だ。グループの趣旨を理解して参加する人は殆ど皆無だろう。関心のあるワードでグループ検索して出てきたところのいくつかに参加申請し、たまたま見た書き込みの雰囲気で自分が書いても大丈夫そうだと判断したから書き込みを開始するというのがありがちなパターンなのだ。

そんな中でどうやって掲示板を維持管理していくのか?

リアルとバーチャルをしっかり分け、一方に肩入れしないのは大原則だろう。

「あの人は会ったこともあってよく知っているがいい人だから」的な根拠の主張を放置してはいけない。あくまで掲示板上のことは公開された範囲で処理するほうがいい。

その上で「気持ちの交流派」と「意見交換派」の住み分けをすすめる。

グループがどちらが優勢になるかは主宰者次第である。主宰者のグループ内外での発言や実際の管理行為などから参加者は鋭敏に読み取っているものだ。最悪なのは「顔のない管理=管理方針が見えない、ころころ変わる」である。

さらに、コンテンツメーカーの参加者を大事にしていくことも結構重要。グループを維持するのは発言をするアクティブ層だけではない。ROMゴキブリ説というのがあるのはご存じだろうか?「発言者の10倍の観客(ROM:読むだけの人)がいるという説だ。有意義な発言数が一定比率以上でないとそのグループは徐々にROM層にも飽きられていくだろう。

もう一つ、管理というものをはき違えが怖い。

掲示板管理の目的は組織の維持ではない。グループは組織ではないのである、それは井戸端会議が組織でないことと同様である。管理の目的は管理は参加者を守ることにあるのだ。参加者を守ることが運営への信頼にも繋がり、ひいてはグループの発展にも繋がるだろう。

掲示板の管理というのは、どういった発言がOKでどういった発言がNGなのか?のルールをわかりやすくするとともに、どの参加者の発言に対してもルールに沿った公平な対処をすることがベースである。

この場合問題になりやすいのが参加者の「ネット交流における規範意識」。

「うまくかけないこと」や「おふざけ」をどの程度まで許容するのか?とか「出してはいけない話題」とか、「責任のとらえ方」は人によって相当違う。

特にまじめなテーマを扱う掲示板では、規範意識の高い層が暴走して「この発言は適切でない」と他者を断罪しだすというのは、FBのできるはるか昔のパソコン通信の時代から全く変わらない。

殆どは放置でいいのだが、こういったケースにおいて日和見層が断罪側につくと特定の発言者の排除に繋がる。

あまりひどくなる前に「発言スタイルの合わないものはスルー」を要請するといった介入が必要になる。

最も避けねばならないのは管理者が自分の規範意識でもって参加者とその発言を断罪してしまうことである。

それはかなりの確率で運営批判の引き金になるし「言いたい放題状態」を誘発する。

ネット生活も20年近くやってるとだいぶいろいろ見てきたわけだが、掲示板コミュニティのつぶれる原因の多くはこれだと私は思っている。

リスクが高いジャンルの掲示板の管理は、少人数完全非公開でない限り非常に難しいしとても手がかかる。

時間と体力と胆力と分析力と文章力が必要だ。

私も昔は時間と体力があったので手を出したが、体力と時間がないのでできないし、

それをおして運営サイドに回るだけの価値を掲示板に見いだせていない。

だがまあ、人はそれぞれだ。

掲示板に価値を見いだす人もいるかもしれないし、うまい運営方法は他にもあるのかもしれない。

そんなわけで、上記はこれからグループ、掲示板を開こうと思う人への餞である。

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投稿者:狸穴猫


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