狸穴通信ブログ 狸穴猫の野次馬的こだわりワールド

ネットコミュニケーション論

(1)ネットコミュニケーションにおける問題いろいろ
 
1..匿名性の問題 
 
これはよく言われることである。匿名だから自分に批判や非難が向くことはないという誤認から、相手への誹謗中傷などが躊躇無くてきてしまう。 
 
しかし実はこれは犯罪や不法行為の可能性が認められる場合は比較的簡単にひっくり返る。ネット関連の法整備が進んできたこともあり、相手を特定することが以前より容易になったこと、さらに民事でも相手を特定するための調査費用も損害に認めるといった判例も出始めており、提訴、告訴の敷居は低くなりつつある。 
 
このことは匿名であっても責任が生じるのであるが、このことを十分に認識しないままネットでコミュニケーションをしている人もまた多いのが現実だろう。 
 
 
2.主張の異なる人へのアクセスしやすさ 
 
リアルでは何故かいわゆる類は友を呼ぶ現象が起こりやすいので、自分にとって受けいれがたい主張の人と知り合いになる機会はそう多くはない。仮に知り合いになったとしても関心を持ち続けることは容易ではないので自然とアクセスは少なくなる。 
 
しかしネット空間では物理的な棲み分けが少なく、また検索が可能なことから異なる意見を持つ人へのアクセスが非常に容易であり、SNSや掲示板で自らの考えを書く人に対して反対意見を述べること、疑念をぶつけることなどはリアルより敷居が低くなる。 
 
年齢や地位による遠慮というものも生じにくい匿名空間のほうがよりその傾向は生じやすいと思われる。 
 
この特質によって有意義な議論が起こることもある半面、不毛な対立やトラブルが生じることもまたある。 
 
 
3.アクセスしにくさの問題 
 
ネットコミュニケーションの場は公開の場でないことも多い。 
 
初めのうちはメール以外は誰でも参加・閲覧可能な公開掲示板が主流であったが、1990年代後半にはパスワード付きの掲示板も増加してきたし、近年ではSNSの上の非公開グループなどが簡単に作れるようになったため、限られた人間しかアクセスできない場は増加している。 
 
近年ではLineやfacebookなど公開範囲の設定を任意に設定できる媒体もあり、公開と非公開で単純に分けられないといった傾向にもある。 
 
メールにしろ非公開グループにしろ、公開の場では発言がはばかられるようなプライベートな話題、メンバーでない他者への批判などが語られることもあるだろう。 
 
近年は中高生のネットいじめの温床になりやすいといった側面で語られることは多い。 
 
いじめ問題を除けば、トラブルが無く、外部にやりとりの存在が知られていないのであれば別段あまり問題にもならないものであるし、公開性の高い場よりも気楽なやりとりができるとも言える。ただ、ひとたびトラブルが生じた場合や外部に存在が知られた場合においては若干複雑な問題を生じうる。 
 
非公開であることの気安さから行き過ぎた発言がなされやすいのはほぼ匿名性の問題と同じである。 
 
また、コミュニケーショントラブルで誹謗中傷などが起こった場合、外部への問題の持ち出しには著作権やプライバシーの問題が絡みやすいため慎重な態度をとる人が多く、往々にして問題がエスカレートしやすくかつ適切な仲裁等も入りにくい。 
いわば場が声の大きい人の感情に流れやすい状態になる。このため一部メンバーの離脱や排除以外の沈静化が起こりにくいということがまずあげられる。 
 
また、外部トラブルがある場合にメールにしろ非公開グループにしろ非公開のやりとりがあることが知られると、やりとりの外部にいる人々に様々な疑心暗鬼を生じやすいといった側面もある。 
 
また、他者への批判の正当性を主張するために非公開のやりとりを公開の場に持ち出した場合は、そのやりとりに関してアクセスできない第三者には持ち出された言動の真偽や真意を確かめようがないし、批判された人物にとっては反論しようがないということもあるため、非公開のやりとりを持ち出した人物に対して「非公開のやりとりを公開したことへの批判」がついて回りやすい。 
 
  
 
4.不明性の問題 
 
リアルなら相手のそのときの状況は見れば一目瞭然であることが多い。 
 
しかし、ネット上では顔が見えない状態でのコミュニケーションが普通である。このためネットでのコミュニケーションにおいて、その時のリアルの相手の状況を知ることはさほど多くはない。 
 
二人が和やかにコミュニケーションをかわしていた場合、一方がトイレでスマホを開き、一方がパソコンに向かっているといったことも十分起こりうる。 
 
さらにコミュニケーション上の情報はテキストデータが大半であり、リアルの生活で活用している視覚情報、聴覚情報といったものに頼れないといった特質がある。 
 
相手の顔が浮かばないことによって遠慮が生じにくくなり、言い過ぎが生じやすいにも関わらず、ちょっと言い過ぎたときに相手の表情や語気から「言い過ぎたかな?」と感じることがしにくいのだ。 
  
また、相手の状況が見えないことで様々な疑心暗鬼も生じやすくなる。 
  
ネットでの呼びかけに対して返答がない場合に「無視した?」と思いやすくなるし、ヒートした議論の半ばで突然相手からの発言が途切れた場合に「逃げたのでは?」「卑怯!」と思いやすくもある。 
  
情報が少ないことで「自分が同じ立場だったら絶対返答するのに」といった自分の感覚で相手に対して不満を強めてしまいやすく、感情的にヒートアップしやすい構造があるのだ。 
(実際には風邪をひいて寝込んでいただけだったり、ネット上に書いていなかった用事を済ませていただけということもあるだろう) 
  
なおかつ、テキストデータだけだと個人的背景がわかりにくいため、人柄を読むといった信頼関係の構築に必要な部分や、発言の意図に関しての確信が持ちにくいといった側面も併せ持つ。 
  
さらに、リアルの人間関係がネットに流入することにより、リアルの付き合いがある人とそうでない人が同じコミュニケーションの場に集うことも多くなった(Facebookなどはその典型ともいえる)。このため、トラブルが生じた場合にリアルでの人間関係がネット上にも波及し、リアルでの関係から(リアルでいい人だとわかっているから、リアルで取引関係があるから等)批判しにくいなどの傾向も生じやすく、リアルでの付き合いがある層とない層の温度差も生じやすい。 
 
  
 
5.タイムラグの問題(同時性が薄いことによる問題) 
 
ネットでのやりとりにはメッセージを発信した時にすぐ相手が受信するとは限らない。 
好きなときに発信ができる半面、相手がいる発信の場合に相手の反応を即座に確認することができないという問題を生じる。 
 
期待した反応がないことに対するいらだちが生じやすいということでもある。簡単に言ってしまえばネットコミュニケーションは人間をせっかちにするのだ。 
 
この結果、しばしば起こるのが返答が期待より遅くなった場合の非難である(LINEの既読無視問題もこういったタイムラグの問題がその要因のひとつだろう)。 
 
タイムラグの問題はもうひとつ、相手が言い訳がましく見えてしまいやすいという問題を引き起こす。 
 
やりとりにおいて必要なすべてを語ることなど不可能で、後付けの説明は別にそれじたいに問題があるわけではないだろう。リアルのコミュニケーションにおいてもよくなされることであるし問題にはなることはほとんどない。 
 
だが、ネットにおいては発信と受信のタイムラグがあるため、説明を言い訳と捉えることが非常に容易なのだ。特に、一旦疑心暗鬼を持ってしまったた場合、語る内容がすべて言い訳に思えてしまうといったことも起こりやすく、単に説明しただけであっても「それは嘘だ」「それは言い訳だ」的な非難が起こるというのはよく見られる現象である。 
 
言われた側にとっては不本意な批判であるが、反論しようにも反論すら後付けの言い訳と解釈されてしまうことも多く、一旦生じた非難を覆すのが困難であることは多い。 
 
  
 
6.記録性の高さという問題 
 
テキストデータでのやりとりが主である。音声での会話であれば録音しない限り残らないが、テキストデータは残りやすい。これは簡単に保存や読み返しが可能であることである。 
 
これはネットコミュニケーションの利点でもあるが弱点でもある。 
 
 
怒りや悲しみなどの感情を感じている場合、読み返すことによってその感情を繰り返し体験することになり、感情そのものや感情による心身への負荷が増幅しやすくなるのではないかと思う。 
 
これはすなわち相手に対する敵意や落胆が生じやすいということである。 
 
また記録性の高いということは、ある人物のネット上の過去の言動について知ろうと思ったらかなり昔にまで遡って知ることができるということでもある。 
 
相手について下調べをしてから接触することもできるし、知り合ってから興味をもったから調べるということもできる。 
ある程度長期の発言記録を読めば、その人物の主張のみならず言動の癖や生活状況に関わることや感情の動きなど、かなりの情報が読み取れてしまう場合も少なくない。 
 
個人情報が漏れることに用心深い人であっても、このあたりに関しては全くといっていいほど無防備な人が多いことに驚かされる。 
 
無防備な人は悪意ある他者の攻撃にさらされやすく、かつその攻撃に傷つきやすくもある。 
 
 
また、公開の場で一旦してしまった発言は媒体から削除した場合でも記録されている場合が多々ある。 
 
ローカル環境へのコピーだけではない。グーグルのキャッシュ、スクリーンショット、Web魚拓など記録する方法は様々だが、削除した言動であっても他者に読まれうるのである。 
  
このため、公開の場で不適切な発言をしてしまうと後々まで禍根が残りやすい。 
 
 

7.拡散しやすさの問題 
 
記録性の高さは、ネット人口の増大、SNSの普及、スマートフォンの普及によって拡散しやすさといった問題にも繋がっていった。 
 
このため間違った情報や悪評が拡散してしまいやすいといった問題も増えてきた。 
 
悪評が拡散されてしまうことによって企業の営業に支障が出るといった話も少なくないし、個人生活に影響が出る場合もある。 
 
いい話が拡散するのなら問題ないかというとそうでもない。いい話であっても著作権やプライバシーの問題が生じることもありうるし、思わぬ被害が発生することもある。 
 
 
 
8.期待度の問題 
 
人によってネットに期待するものはかなり違う。情報収集、世間話、議論、広報・宣伝、連絡手段、マンウオッチング等々。 
 
関心分野による棲み分けは起こるが、期待するものが違う人が同じ場にいるというのがネットの世界である。当然ネットコミュニケーション上の振る舞い方も千差万別になる 
 
これは頭で理解していてもなかなかピンときにくいものである。リアルの世界では期待するものの違う人が同じ場に集うということはあまり多くないからだろう。 
 
 
9.空間誤認の問題 
 
ネット上というのは公開性が高いにも関わらずそれを認識しにくい空間でもある。 
 
ネットの端末というのは多くの場合自分の身体から数十センチ以内の位置にある。 
 
自分から数十センチの距離に人がいることはリアルでは非常に少ないと。混んだ交通機関内を除き、乳幼児と親、恋人同士や夫婦ということでもない限りそうそう近づく距離ではない。やりとりが近い位置に見えること、パーソナル空間内でなされることに、公開性の高さが実感として認識しにくくなってしまうのだと思う。 
 
その結果として、公開の場での発言として適切かどうかを十分検討しないまま公開してしまうことも起こりやすくなる。つまり、ネットは人を不用意にしやすいのだ。 
 
また、この実感とのギャップは、良好なやりとりの最中であればコミュニケーションの相手に対して親近感を抱きやすいといったことが起こりえる。だが逆に非難に関しては実際以上の攻撃性や敵意を感じてしまいやすくもあり、ひいては恐怖も感じやすくなる。 
 
ネットコミュニケーションの空間は人と仲良くなりやすいがケンカもしやすい空間なのだ。 
 
 
10.頻度の問題 
 
 
140字の字数制限をもつツイッターだが、文章を打ち込む速度がいくら速くても1時間に千人とやりとりすることは不可能である。つまりSNSでの普段のやりとりはかなり狭い範囲である。短文であれば頻繁なやりとりが可能だ。 
 
接触頻度が高ければそれだけ相手に好意を持ちやすい。 
 
コミュニケーションの頻度が高いと相手に対して親近感を抱きやすいため人と親密な関係をつくりやすいが、その反面、悪意ある他者がその頻度による親近感の生じやすさを利用して接近してくるといったことも十分にあり得る。 
 
急接近してくる人物に対しては念のため警戒する必要はあるだろう。 
 
 
11.孤立感の問題 
 
 
掲示板やSNSで多くの人がコミュニケーションしている場合でも、発言を書き込むということはじつは孤独な作業である。 
 
発言を公開するかどうかの判断において他者に相談できるといった場合は少ないだろうし、リアルでのケンカと違って止めに入る人がいるかも不明である。 
 
このため、批判に対する反論などを行う場合においては心理的負荷は高くなりやすいし、賛同者が少ない状態が続くと孤立感を深めやすく、トラブルが生じた場合においてはよりその傾向が高くなると思われる。 
  
「わかってくれる人も必ずいるはず」という基本的な対人信頼感が薄い人はつらくなりやすい環境でもある。 
  
 
 
12.文章力・時間的余力の問題 
 
ネットでのコミュニケーションはテキストでのやりとりであるために、読解力、語彙力、文章力、作文速度、書くための時間的余力といったものが影響しやすい。 
 
議論の応酬のようなことになった場合には特にそれらの影響が現れやすくなる。 
 
特に問題となるのは筆が速い人がなんらかの誤認による感情的な他者批判を強引に展開した場合である。 
 
こういうケースは周囲から「それは違うのでは」という指摘がはいりにくい。 
 
指摘することによって新たな議論の応酬が起こりやすいので、よほど時間的な余力がない限り手を出せないといったことになりやすい。 
 
  
 
13.言葉の意味の多様性の問題 
 
言葉の解釈や使い方というのは人によって実はかなり異なる。 
 
その違いによる行き違いで議論がエスカレートして炎上というのはまあ昔からよくあったし、誰かが双方の用語の使い方の差異に気づいて、行き違いの発生地点に戻って相互の誤解を解けば炎上が収拾することも多かった。 
  
 
14.弱さを主張することの暴力性が露呈、拡大しやすい問題。 
 
 罵詈雑言をぶつけられてショックで泣いている人を見たら、かわいそうと思うのはまあ自然なものだろう。「いい加減にしろよよ」と罵詈雑言をぶつけた人に注意する人も出てくることもあるだろう。 
 
 だが、ネットでのやりとりにおいて「あなたの対応に傷ついた」というタイプの主張する場合、リアルと同様の動きになるかというと必ずしもそうではない。 
 
 
A)だれもかばってくれないことに孤立無援感を募らせるというパターン。 
 
B)「傷ついた」という主張賛同する書き込みや、きっかけとなった人への批判的な書き込みに場が埋め尽くされ、賛同しない人は押し黙って(ことによると場から去って)終了というパターンがもうひとつ。 
 
意味合いが微妙な表現だったり、さまざまな誤認や拡大解釈をした結果として「傷ついた」と主張している場合もあるから話は複雑である。 
  
 
対する側が「そういう意味、意図ではない」と真意を語っても、言い訳と捉える人が多いと批判は止まない。 
  
 
周囲の誰かが拡大解釈や誤認によるものだと思った場合でも、そこに説明を入れるだけの気力と体力と文章力と時間と思い入れがない場合、「それ、なんか違うと思う」と言い出そうとは思いにくい。 
 
言い出すのは結構リスキー。下手に言えば批判が言い出した人に集中する。だから押し黙るor去るしかない場合も多い。 
 
善意での指摘を曲解されてバッシングされるということも起こりやすい。 
  
 
問題はそれだけではない。誤認や拡大解釈による「傷ついた主張」に賛同者、同情者が多数出た場合、主張している当事者が「傷ついたのは当然である、正しい主張だ、相手が悪い」と思い続けやすいということがあるのだ。 
  
その結果、誤認や拡大解釈の根っこもったままネットでのコミュニケーションを続けることになり、同様のトラブルがしばしば発生するというのがよくあるパターンである。 
  
歴史的な詳細は省くが、これはネット利用者が少なく、理系人口が多かったパソコン通信の時代には少なかったパターンであり、ネット利用の敷居が低くなるとともに増えてきたパターンである。 
  
  
 
15.著作権とプライバシーの問題 
 
ネット初期から著作権の問題はかなりしばしば議論されてきた。 
 
掲示板の発言は著作物か?とか非公開グループの中での発言は著作物か?とかメールは著作物か?とかまあいろいろ。 
 
なぜそんな問題が持ち上がったのかというと民事・刑事上の法的問題に関わるからでる。 
 
ブログやWeb上の著作権については、書籍の場合に準ずるってな解釈が現在の通説である。 
  
メールについては著作物ではないがみだりに公開するとプライバシー権の侵害に相当する場合もあり民事上の問題となる場合もあるというのが通説のようだ、リアルの私信と同じと考えればいいのではないだろうか。 
  
そして最近になって浮上したのが、スクリーンショット問題。 
 
特にツイッターの短文のスマホスクリーンショットの紹介をどう捉えるか?単独著作物と考えるか、一連の著作物の一部と見なすか、はたまたそもそも著作物ではないとするかで扱いは大きく変わるだろう。 
まだこれといった判例は出ていないようだが、かなり難しい問題だと思う。 
 
現時点で他者発言のスクリーンショットの公開をしている人はそれなりにいるが、それが許される行為なのかとについては否定的な意見も少なくないといったところだろう。 
  
非公開掲示板やSNSの非公開グループ、FBの限定公開での発言についてはまあ、また問題が浮上するかもといった意見が散見される程度。 
 
だが、かつてパソコン通信時代(この時代の公開性は今と比べるとかなり低い)でもいくつかの訴訟があったことを考えると、いずれ問題となるのではないかと思う。 
  
 
  
 
16.無知の問題 
 
参加のハードルが低くなるにつれネットコミュニケーション人口は増える。そしてそれにつれ種々の規約類を読まない人も増えてくるし、ネットマナーや法的リスクについて知ろうとしない人も増えてくる。 
 
今まで述べてきたように、ネットコミュニケーションというのは、リアルでのコミュニケーションの常識が通用しなくなるといったリスクを常に持っている。 
 
なのに参加のハードルは非常に低く、何も知らないままでも端末がいじれさえすれば参加は可能。 
 
各種のネット上のトラブルにおいて当事者が「問題があることだとは思っていなかった」というケースは多い。 
  
 
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(2)ネットマナー 
 
こういったリアルコミュニケーションにはない特質がいろいろあるので、場を提供する側はまあそれなりにわかっているのだろう、後手後手に回っている感はなきにしもあらずだが対策はそれなりに打っている。 
 
いろいろ注意書きを並べた上で免責事項をあれこれ設定してチェックボックスで規約に同意しないと登録できないようにしてはいるし、ネットマナーについてまとめたページで注意喚起をすることも多い。 
掲示板などでも管理者がローカルルールの設定、遵守を求めるのはごく普通にあることだ(まあ、やっていないと管理責任を問われることもあり得るので当然)。 
 
ただ、そういうものをどれだけの人が熟読しているのかといったら非常にあやしいとは思う。 
 
それで平和にすごせているのならいい...のかもしれないが、ネット上である意見に対して批判的な論などを展開しようとする場合では、トラブルの危険は常にあるわけで、痛くない腹を探られないためにもネットマナーについて知り、そこそこ守っておくのが無難なやり方といえるだろう。 
 
もちろんあえて一般的なネットマナーを無視するといったあり方もあるだろうが、それは自己責任において行われるべきものだろう。 
  
 
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(3)ネットと法律 
 
ネット上のコミュニケーションが盛んになるにつれ、トラブルも当然増える。 
誹謗中傷、ストーカー、詐欺などがその主流である。 
 
 
個人間のコミュニケーションでは誹謗中傷や炎上による問題、プライバシーの問題が主流で法による問題解決が必要なケースも増えている。 
 
ネットもリアルと同様に法律の及ぶ範囲である。 
民事にしても刑事にしてもネットだから特別ということはない。 
ただ、提訴しにくかった、立件しにくかっただけである。 
 
通信技術の発展が急だったため後手後手に回っている感じは否めないものの、個人情報保護法やプロバイダ責任制限法などかなり法整備も進んできたため、司法の場に持ち込まれるケースも増えてきた。 
 
 
いわゆる誹謗中傷というのは、民法上は名誉毀損、侮辱という不法行為として損害賠償請求の対象となり、刑法上は名誉毀損罪、侮辱罪として扱われる。 
 
名誉毀損や侮辱という言葉を知っている人でも名誉毀損罪や侮辱罪の成立要件を知っている人は多くないだろうし、民事でどういった場合に損害が認められるかといったことを知っている人もまた少ないだろう。 
 
全部についてあげることはできないのでここでは名誉毀損罪と侮辱罪について簡単に説明するが、名誉毀損(罪)も侮辱(罪)摘示した事実が真実かであるかどうかには依存しないというのが通説である。 
 
もちろん、表現の自由や公的利益の問題とも絡むことも多く、事実が真実かどうかが重要となる場合もあるが、事実が真実かどうかによらずに有罪となった例もある。 
 
今までの判例ではネットで議論が多少ヒートして多少の罵詈雑言が飛び出したとしても、対抗言論の法理というのが適用されるケースでは即座に違法ということにはならないようだ。 
もちろんだからといって暴言が無制限に認められるされるというわけではない。相手の反応に納得できなくて延々と長期間にわたってネチネチと特定個人に対して公然と暴言を吐くことは謹んでおいたほうが 
 
保護法益の名誉、名誉感情については、外部的名誉とする解釈が主流であるので、そのため公然性があることが要件とされる。概ね数人以上が見ている場であれば公然性があると認められる。 
 
つまり、非公開掲示板やSNSの非公開グループなどにおける発言でも公然性があると認められる可能性もあるということだ。 
 
プライバシーの問題もじつはかなり微妙な問題だ。本人自らが公開した情報であっても時間的経過によって忘れられる権利があるとする意見もあり、すで「忘れられる権利」を認める判例もある。 
 
あまり昔のことを持ち出すのは不法行為や犯罪になってしまうリスクがあるだろう。 
 
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(4)一旦まとめ 
 
以上いろいろネットコミュニケーションについてリアルの場合との相違を書いてきたが、ざっくりまとめるとこんな感じ。 
 
1.ネットでのコミュニケーションはリアルでのコミュニケーションと違った性質が多々あり、リアルの感覚が当てにならなくなるので意識的に両者の差異による実際とのずれを修正しておかないと不要にイライラする原因にもなる。慣れるまではいわゆるネットマナーを慎重ぎみに守っておいたほうが安全である。 
 
2.正しいと思うことを発信するのは自由ではあるが、不法行為、犯罪にならないように十分に注意する必要もあり、またその責任も生じる。 
 
3.何らかの主張をするなら批判はつきものだし反論をするのもいいが、その批判の意図や真意がわからない場合には一旦保留しておくか、反論をする前に意図や真意を相手に確認したり相手の過去ログなどから意図を分析するといったことをしないと的外れな反論をしてしまいやすい。 
 
そしてこのあたりも認識しておいたほうがいいだろう。 
 
4.政治、教育、福祉、女性問題、精神医療などリアルですら対立意見の衝突が多発する分野で主張を繰り広げるのであれば、トラブルの生じる可能性はより高くなるので他の分野に比べて格段の注意を要する。 
特に精神医療関連は心を病んでいる人も多いので訳のわからない現象も起こりやすい。 
  
5.ネットには法に触れない範囲で巧妙に他者をdisる輩もいる。そういう輩にdisる材料(餌・燃料)を与えないことが肝要である。そして適当に棲み分けをして見すぎないようにしたほうが精神衛生上も安全である。 
 
 
 
あるメディア論の本に蒸気機関車の旅が始まった時期の興味深い話が載っていた。 
蒸気機関車での旅を「これは旅ではない」と拒絶し、馬車での移動こそ旅だと主張する人々がかなりのいたというのだ。高速での移動という感覚を旅という概念の中に取り込めなかったのだろうという解説がなされていた。 
しかし現在、蒸気機関車よりも遙かに高速の鉄道での旅を旅でないとする人はいないし、人類はさしたる違和感もなく高速での移動と低速での移動の使い分けをしている。 
 
ネットのコミュニケーションもそういったものなのかもしれない。 
 
しかし今のところまだリアルコミュニケーションとバーチャルコミュニケーションを自在に使い分けできルようにはなっていないのだろう。 
 

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投稿者:狸穴猫


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