大学入試についてふとかんがえる


 

自分自身が入試というものから離れて久しくなると改めて大学入試問題を眺めてみれば、昔見えなかった問題点が見えてくる・・・(ような気がする)

良問だ、悪問だという単純な分別はできない。
「考えよう」によっては「思考力を問う問題」と言えるが、「解きよう」によっては多少の知識さえあれば殆ど頭を使わなくても解けてしまう問題というのが確かにある。
 

こういう問題が多くなり、かつ、「頭を使わない解き方」が流布すれば、「良問でありながら思考力が低い方が悩まなくて済むのでいい成績を取りやすい」といったケースも必然的に生じてくるだろう。

ハイスコアの生徒をとることで学力の低い生徒をとることになってしまっているというケースもあるのではないだろうか?
「ある程度の危険率はあるにせよ、入試成績と真の学力は正の相関関係がある」
というのが大方の認識だと思うが、この前提こそ一回考え直してみるべきなので
はないだろうか。

・・・・・とまあ、お久しぶりに本屋でセンター試験の問題を眺めながらふと思ったわけです、はい。共通一次時代からセンター試験時代と、批判はいろいろあったし、表面的には変わってきたけど、中味は余り変わってないような気がするなあ。
 
せめて二次試験との相関は見たほうがいいんじゃない?と思うけど、ハイレベルなところほど「足切り」で落としちゃうから相関データとれないのよね。
 
・・・・なんてことを某おえらい人たちのフォーラムで書いたら、
 
「二次試験と大学の成績の相関はとれてるデータがある!」
「学部の秀才が院にいってだめってのもよくある!」
ってなご意見をいただいちまった。
 
あの〜・・・足切りある限り、まっとうな相関データとれるはずがないでしょうが!

やれやれ、学者さんも統計には弱いのか・・・・


閑話休題?

やっぱり私は入試ってもんにこだわってしまいますね。
特に「学部では秀才で院にいったら・・・」というケースはあちこちで聞きますし、まあ、見かけもします。となると、入試段階でやはりろくに選抜できていないんじゃないかという疑念は晴れませんのですよ。
 
最近話題によくとりざたされる理科教育に関しても、入試に課せばとか、履修すればといった問題ではないように思うんですね。
 
では何か?というなら、入試を巡る高校生の環境・・・即ち「どうやって学習するか?」という点が大きく関わってくるのではと思うのです。
 
現在、入試において数学すら暗記科目化しているのは、和田秀樹氏の著書「数学は暗記だ」をはじめ、多くの受験参考書が「いかに覚えるか?」といった姿勢で書かれているのを見れば一目瞭然でしょう。
 
そして、多くの科目について、そういった姿勢での学習ばかりをしてきたならば「考える」という視点が育たなくても不思議はないでしょうね。(暗記と理解と思考の区別がつかない学生は現存するねえ・・・)
 
現在「いわゆる」一流大学に多くの学生を送り込んでいる6年一貫の私立中高校の生徒が「どういう風に”学習”をとらえてきたか」という点(予備校などの教育産業との関わりも含めて)に着目する価値はあるのではないかと思うのです。
 
入試がの「いい悪い」は実は
「その入試によって(&その時代の環境下で)、高校生が学習というものをどうとらえ、どう学習して大学に入学したか」といった問題に帰着するのではと思うのです。
 
そういった観点から入試って見られないもんなんだろかね?
ま、こーいうのは学者さんのお仕事だとは思うが・・・・。

2001/11/09



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